【ダンガンロンパ】江ノ島は絶望だけど悪なのか?という考察【絶望論】

ダンガンロンパ2のカムクラの話を聞き

ダンガンロンパ3の未来機関を見て。
絶望編を5・6話見て。
 
私は思いました。
 
絶望とは悪なのか?
 
と。
 
そんなことを疑問に思う私は、最早絶望の残党かもしれませんが…
 
まあ、おつきあいください。
 
*ちなみに。この記事は私の勝手な考察なので
一つの意見だと思って御読みください。
 

絶望とはいったいなんなのかという考察

前回の江ノ島が言ったセリフ
 
「皆の求める希望はただの予定調和」
「絶望とは未知」
 
 
についてです。
江ノ島超高校級のギャルで入学しますが、
 
いいことではありませんが、絶望ってそこがないくて未知ですよね。
夢や希望と違って、えがけない。いや、えがきたくないものですよね。
周りも絶望なんて望みやしません。
 
逆に、希望とは「こうなりたい」もしくは「こうしたい」と思うことで、
 
夢とか希望って、頑張ってもなかなか上手く行かない
それでも努力した結果、願いが叶うのがうれしいじゃないですか。
(叶わなければ絶望スちゃいますが)
 
これの例を挙げると舞園さんなんじゃないかなと。

 

子供の頃からの夢で、叶えるためならどんな努力も全力でして来た。
だからアイドルで成功して、希望が峰学園のスカウトまで受けた。
だからこそ、芸能界を軽んじる桑田にイラッとしてたし
閉じ込められるって聞いて、一番絶望したのも舞園さんだったんじゃないかと。
でも、アイドルで成功できた舞園さんは気こそ抜けませんが幸せだったんじゃないかなと思います。
 
 
そんな努力の成功者がいる反面努力しなくても何でも思い通りにできる人がいます。
 
これを実現するには、分析力が必要になりますが。 
その分析力がすごければすごいほど、予定通りに物事は進み、希望は叶ってしまう訳です(いわゆる天才
努力しなくても、少しこなすだけで何でも出来てしまう人
これは、うれしいというよりも、出来て当たり前の事件なんですよね。
 
例を挙げると石丸のおじいさん
石丸の証言によると、才能があるとおごって、失敗なく総理大臣にまでなったそうです。
 
だから、やりたいことは出来て当たり前うれしくも何ともない訳です。
なぜかというと、自分の予定、計画通りに物事進んでいるのですから。
 
きっと江ノ島もこの部類なんでしょう。
だからこそ、自分のしたいことが全部で来ても、願いが叶ってもうれしくない。故にそのことに対して退屈していたのではないでしょうか
 
 
で、そんな特に力を入れなくても成功して来てそれを当たり前と思って来た人が、失敗した時に陥るのが絶望です。
 

 

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そんな絶望、普通は耐えられませんが、
今まで成功して来てそれが当たり前だった人たちって、失敗した後のことなんて想像しませんよね?
 
もちろん、いろんなケースを想定はするでしょう。
しかし、その想定すらどれにも当てはまらないなんて思いもしない訳です。
 
 
だからこそ、希望に比べて絶望は「未知」なんですよ。
多分、江ノ島が言ってることもこういうことなんじゃないかな?
と思うんですけど…(違ってたらごめんなさい。)
 
 
で、思い通りにしかことの運んだことのない江ノ島
未知の絶望に見入られたんでしょうね。
 
思い通りに行かない予想外の出来事というのがうれしいんでしょうね…
 
なんかそんなこと考えていると、江ノ島は何も間違ってないような気がして来ますね…私絶望の残党なのかな…。(*1
 
とちょっと絶望に関して考えたところです。
 
 

江ノ島は、絶望は悪?

長々と絶望について考えましたが、それをふまえて、
 
絶望は、果たして悪なのか?
 
を考えたいと思います
 
いや、悪いからダンロンの世界があんなことになってるんですけれども。
 
だけど、絶望編の6話、日向君が完全にカムクラになった後。
感情や記憶はすべて消去されてる状況です。
 
そして、すべての才能をもった日向の状態は、
先ほど言った天才の中の天才です。
なので、すべてが思い通りに行ってしまい、つまらない状況。
 
あんな状況で、江ノ島「絶望は未知だ」なんて言われてしまえば、興味を持つのも当然です。
 
で、端から見れば絶望に引き込んだ魔の手に見えますが、
カムクラにとってはどうだったのでしょう。
 
カムクラには感情がない(薄い)ので、江ノ島の手を取ったというよりは、絶望は興味ないけど、つまらない人生の脱却という意味で手を組んだということでしょうか。
 
それでも、本人にとっては、これはある意味救いですよね
 
カムクラだけではありません。
絶望少女の希望の戦士達が、この世から皆で逃げようとしてる時。
江ノ島がいらないならちょうだいよって言ってさらって行きます。
 
端から見れば誘拐事件なんて大問題ですが
こんなのどんな思惑があれど、本人達はすくわれた訳です。
 
 
 
カムクラも希望の戦士も、そそのかされて最後にやったことは最悪でしたが、本人自体はすくわれたことに間違いはありません。
 
 
そう考えて行くと、江ノ島って絶望だったんでしょうか…?
 
世界的に見れば絶望だし、とんでもないことをしてくれた黒幕ですが、
絶望の残党の個人を見て行けば、彼らにとって江ノ島は希望だったはずです。
 
逆にいえば、希望が峰学園は「希望」ってある割に希望じゃないですよね。
だってカムクライズルなんて人口の才能を、個人を消してまで作り出そうとする人体実験を行う訳ですから。
こっちのがよっぽど絶望ですよね。
 
絶望希望を感じる絶望の残党
意味が分からなくなってますが、希望と絶望って表裏一体ですね…。

 

おかしいな…1のラスト見て、「江ノ島ああああ!!!」って絶望を憎んでいたはずなのに。霧切さんのお父さんの結末みて(;;)ってなったのに、

 

 

2、ゼロ、絶望少女、3と見て行くうちにだんだん

「うわぁ・・・希望が峰学園…お父さん自業自得だわ」に代わり、

江ノ島が間違ってないような気がして。

 

なんか未来編の未来機関を見ていて、「未来機関って本当に希望なのか…?」

と思って江ノ島を見たら思い浮かんだ考察でした。

 

長々と御つきあいありがとうございました。

 

*ちなみに。この記事は私の勝手な考察なので
一つの意見だと思って御読みください。

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