【ダンガンロンパ3】希望でも絶望でもとにかく洗脳はヤバい

今更ですがダンガンロンパ3の希望のビデオに付いて描こうと思います。

 
皆さん、希望のビデオってなんでいけないのか
もしかしたら分からない人がいるんじゃないですか?
 
たぶん以前の私だったら分からなかったと思います。
ただ、最近知り合いが自己啓発にハマって、私も実践され、一瞬納得した結果
後ちょっとで精神崩壊しそうなところまで行きました。
 
なので、如何に希望のビデオが危険な物なのか今では分かります(最近更新がないのは半分そのせい。)
 
ということで、そんな私だからこそお話しできると思うので
今回はその辺りを説明したいと思います。
 
 

希望と絶望って何だろう

 
まず前提として希望って絶望と表裏一体なんですよ。
 
どっちかがなければどっちも成立しません。
 
分かりやすく説明しましょう。

 

例えば、
お金持ちの人貧乏になれば絶望だし
貧乏お金持ちになれば希望ですよね?
 
でも金持ちの人が貧乏にならなければそれは普通のことで、
そこに希望も絶望もないですよね。
 
貧乏の人も、もしお金持ちを知らないで、自分の人生が普通だと思い込めば、それは絶望ではないですよね?
 
 
つまり、最高を知らなければ最低を知らないし、
最低を経験しなければ最高とも思わない訳です。
 
 
さて、そこで御手洗君の作ったビデオ
これはいったいどうなんだろうということをお話ししたいと思います。

 

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絶望のビデオ

 
まず、絶望のビデオ
 
絶望のビデオとかいう名前ですが、あれって本当に絶望ですか?
洗脳直後の彼らを思い出してください。
目がぐるぐるになってますが、なんか幸せそうですよね?
罪木さんなんて、トロンとしちゃってますよね?
しかも自分の野望説明するときの皆の幸せそうな顔、思い出せますか?
 
そう考えると、「彼らにとって」はあのビデオは絶望だったのでしょうか?
被害者にとってはもちろん絶望です。
でも、本人達にしてみれば、江ノ島化しただけとはいえ、
江ノ島の考えに染まった彼らの絶望欲をさらけ出してますよね?
 
ということは、彼らにとって、正々堂々と絶望させられるあの状況は彼らにとっては幸せですよね?(ただし周りは大迷惑)
 
だから「絶望ビデオ」は江ノ島の思考に染まり、さらけ出させる効果があるということ。
 
 

希望のビデオ

じゃあ希望のビデオは何がいけないんだ?というお話ですが。
御手洗君の話を思い出してください
 
「人は弱い。だから絶望する」
「悲しみも苦しみもない世界にしてみせる」
 
ということ。
分かる人には分かるかもしれないですね。
でもたぶん分からない人も多いと思います。
 
そんな方は冒頭を思い出してください。
お金の例題です。
 
絶望と希望は表裏一体です。
 
貧乏人がいなければお金持ちは自分たちの生活を普通に感じ、幸せすら感じないでしょう。
逆に貧乏人はお金持ちがいることを知らなければ、自分たちが絶望することもないでしょう。
 
でも、実際は格差社会。お金持ちがいれば貧乏人もいて、誰もがその現実を知っています。
だからこそお金持ちになれるかもしれないという希望を胸に努力します。
逆にお金持ちはあんな生活をしたくないと絶望を恐怖に思います。
 
そして御手洗君が言ってることをこの話に置き換えると、
「誰も貧乏人なんかになりたくない!
だから貧乏でもつらく思わない世の中にするんだ!」
 
と言ってる訳です。
 
つまり、「貧乏になる恐怖」を捨てて「お金持ちがいることを知らない世界」にしようと言ってる訳です。
 
貧乏じゃなく済んじゃありません、それが当たり前になる世界です。
 
さて、じゃあ仮に希望のビデオを使って「お金持ちがいることを知らない世界」になったとして、
 
それって幸せですか?
 
誰だって貧乏になって苦労したくないです。
でも、だからと言って、その生活が当たり前だと思い込み、何も向上心なく毎日タンタンと生きて行く毎日
 
絶望を味わくことは有りませんが、幸福も絶対有りません。
 
それでも希望のビデオを使って絶望が消えても毎日楽しいですか?
 
ということです。
 
これならある意味絶望ビデオの方がマシですよ。
 
御手洗禁の話を聞く限り、希望のビデオは洗脳を解く訳では有りません。
 
そうなるとあれはただの洗脳ビデオじゃないかと私は思います。
 
 
人の希望は、つらいことをなくすことでも、洗脳されることでもなく
幸せになるために努力してつかめることのことを言うんじゃないですかね。