普通の幸せは、理想の幸せ説と言う持論を話したいと思います

タイトルの日本語がおかしいのはさておき。

 

贅沢は言わないから普通に暮らしたい。

結婚して普通に幸せな生活をしたい。

普通に生きていければいい。

 

なんて言葉をよく耳にします。

 

と同時に私たちは少しでも普通じゃないことをすると、自分はおろか相手にも普通を押し付けてしまうことがしばしばあります。

 

ところで普通ってなんでしょうか。

 

成績的なことで考えると平均的…と言うことになりますよね。

でも世間ではテストの点数みたいに0〜100点とはっきり決まっていないですし

時代によって常識、考え方が変動します。

 

つまり普通とは、年代ごとに変わっていくのです。

 

一番わかりやすいアニメでいうとクレヨンしんちゃんでしょうか。

 

アニメの中ではひろしの年収では安月給で、専業主婦のみさえはよく文句を言っていますが、これは当時の常識で当時の普通(?)です。

しかし10年20年とたち、声優さんもだんだん2代目に変わっていますが、それほどの時間が経てば常識は変わるもので、いつの間にかひろしの年収は現代では高級の方で、当時は専業主婦は多く、中には自分は働きたくても、夫に「子供がかわいそうだから働かないで欲しい」と言う相談がテレビに寄せられるような時代だったのが、今では専業主婦はあまりいいように思われない時代になりました。

 

このように、当時の普通と今の普通はこんなにも差があります。

 

なのに私たちは「普通」を望み、「普通であること」を押し付けます。

 

ところで、今の私たちにとっての普通ってなんでしょう。

 

「大学に入って、卒業したら就職して、

社内恋愛なりなんなりでイケメンとは言わないけど

見た目も中身も普通の男性・女性と付き合って適齢期に結婚して

良きころに妊娠して子供は2人くらい。

共働きしながら力を合わせて家事と子育てして、子供を立派に育てて巣立たせる」

 

多分「普通の幸せ」と言われた時、これが皆さんが一番想像するのがこれですよね。

 

 

しかし、これが普通だとするならばおかしな話ですね。

私たちはこの普通を望んでいるはずなのに、ここに到達するのは果たしてどの程度の人数なのでしょう。

 

まず、大学。

今の時代少子化で大学が多いので、選ばなければどこでも入れますが、一方何浪もして大学受験をする人も少なくありません。

仮に大学に受かったとしても単位を落として留年なんてこともあります。

留年・浪人がいけないと言ってるわけじゃないですが、ここでなんどもつまずくとさっき提示した「普通」からは離れていきますよね。

また高校を出たら働くと言う人も、今でも結構多いはずです。

 

次に就職。

今はもしかしたら景気が回復して就職率も戻り始めてると言うこともあるかもしれませんが、一時期は就職氷河期リーマンショック関東大震災、などで就職浪人になって職に就けない人も一定数いるはずです。

 

ここまでの段階であまりに何度もつまづくと、男性はいいですが女性はこのままではどんどん晩婚の道を辿ることとなります。

特に留年・浪人に引っかかると1年単位で時間がかかりますので…言いたいことはわかってもらえればともいます。

 

それでも美人だったり何かしら条件のある人で若ければ、早く結婚することができてうまくいけばこのご時世でも専業主婦になることができるかもしれません。

 

しかし今回この記事では「普通」についてお話ししていますので、容姿の設定も普通にこだわらせていただきます。

 

さて、なんとか就職までうまく言ったとしても次に待ち受けるのは結婚。

まず、以外に普通の男の人と言うのは周りにいない。

いたとしてもすでに彼女がいたりする。

 

運よく普通の相手をゲットすることができたとしても、現在の若者はお金がない。

子育てにいは1000万はかかると言います。

結婚は感情だけではできません。

結婚するお金があるのか、子供を育てるだけのお金を今後準備できるのか

それによって子供を作るか作らないか、一人なのか二人なのかに関わってきます。

 

それだけれはありませんお互いに付き合ったはいいものの結婚するつもりがあるのかはまた別だったり、仕事が楽しくて今は結婚なんて…ってことも多々あります。

 

そうなると結局晩婚化し、子供だって2人埋めるか微妙になってきます。

 

さて、なんとかうまくレールに乗って子供2人産むことができたとしましょう。

しかし、問題はまだ起きます。

そう「離婚」の可能性です。

 

性格の不一致、浮気、DV

何が問題になるかは人それぞれですが、3人に1人が離婚すると言われている時期があり、今はもしかしたらもっと…かもしれません。

なのに自分は大丈夫なんて言い切れるでしょうか。

 

さて、普通にたどり着くまでにこんなに難関が立ちはだかるわけです。

この難関につまずくのはいつも同じ人ではありません。

大学はすんなり行っても、就職でつまずいたり、結婚してもこんな相手と…と後悔したり、いろんなパターンがあるのです。

もうちょっと言えば、大学まえにリタイアしたり、ここの枠からすでに外れてる人なんてすごく大勢いて、想像もできないほど辛い人生を歩んでいる人だっています

 

これらを合計すると、ここにたどり着けるのって…実はほんの一握りなんじゃないですか?

不思議ですね、夢追いみたいに夢を追ってるわけではないのに、無謀なチャレンジや投資をしてるわけでも、企業をしたわけでもないのに。

普通の生活を追い求めてそれが叶うのが夢を追うのと同様一握りなんて。

 

学校のテストなら、どんなん頑張ってもいい点が取れないと言う本当に勉強が苦手な人でないのであれば、普通に勉強したら平均点前後は取れるはず…

 

なのに普通に暮らしていては、普通の生活にたどり着けないのです。

しかもいい大学出て、いい会社に就職してと言う普通のルートを辿れば辿るほど晩婚化します。

だって、大学卒業してもし25とかに結婚したら、キャリアなんてせいぜい3年くらいじゃないですか。

仕事をしたくない人は寿退社でルンルンでいいかもしれませんが、仕事が大好きな女性はこれからが面白いって時期ですよね。

それで仕事に打ち込んでキャリアを積んで、ようやく落ち着いたと思った頃にはすでに遅しと言う話は少なくないはずです。

 

おかしな話です。

 

そこから導き出せる結論は、実は「普通の生活」って言うのは実は「普通」と言う名を借りた「理想の幸せ」であり、「夢」なんじゃないでしょうか

 

その普通の生活というのが夢だからこそ、夢追いの人たちが夢を追って現実を見たときのように、その普通の生活の現実が見え、

夢追いの人たちが必死に頑張ってようやく手にした成功のように

普通の生活を送るために必死に頑張った人にしか、手に入れることができないのではないでしょうか。

 

 

私たちは「多くの人はこうである」ということを「普通」だと思い

それが思い込みであることを想定しない、もしくは自分は相手はその枠組みから外れていると判断すると「普通であること」を望むのです。

 

そう考えると、普通を他人に押し付ける理由はわかりますね。

望む時点でそれは普通ではありません、それはこうであってほしいという理想です。

 

つまり私たちは、相手や自分が普通でない場合、

普通でいてほしいという「理想を相手に押し付けている」のです。

 

するとしっくりきますよね。

 

 

だから何かを目指している人たちや、個性を出したい人たちはこの「普通」を窮屈に感じるのではないでしょうか。

 

 

もしそうであるのなら、普通じゃないことを苦しむことって本当はないですよね。

大多数がそうであるという思い込みで誰かが作った理想は虚像でしかない。

 

そんな作り物の普通にこだわる必要なんかどこにあるのでしょう。

もちろんそれでも普通の生活を望む人はいると思います、結果それが生物的に正しいですしそれをバカにしたくてこの記事を書いたわけではありません。

ただ、この普通の生活がどのみちよりも一番簡単かと言えば…機会があれば別の記事で書こうと思いますが、私はそうでもないと思います。^

 

だから、普通の生活をしたい人は、ものすごい努力して今からでも掴みとればいいです。

それは、夢追いの人たちと同じです。

 

でも今おかれている普通に疑問を感じているのなら、普通という概念を脱ぎ捨ててやりやいことをやってみるのもいいのではないでしょうか。

そこまでしてしがみつくほどの価値は「普通」はないのかもしれないな…

 

というのを自転車漕ぎながら思いついたので描いてみました。